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神輿解説 第六回 大分県宇佐市南宇佐 宇佐神宮  平成30年(2018)3月8日 記

 神社には古い歴史のあるものが数多くある中で、私はまず平安時代中期に編纂された『延喜式』に記載された神社と考えている。こうした神社は古社とよばれ、延喜5年(905)醍醐天皇の命により編纂を始め、延長5年(927)に完成した格式である。

全50巻からなり、その内9巻・10巻には神社名を記した神名帳がある。この神名帳を通常延喜式神名帳という。この神名帳の内容に注目すべきは都より遠く離れた東北地方の陸奥・出羽国や九州地方の日向・大隅・薩摩国まで全国より選ばれた神社で、当時朝廷より重要視された神社でもある。

 宇佐神宮は八幡宮の総本社でもあり根本社でもあるが、延喜式神名帳の宇佐神宮の記載をみると次のようにある。 

「豊前国 宇佐郡三座 八幡大菩薩宇佐宮・名神大、比賣神社(ヒメノカミ)・名神大、大帯姫廟神社(オオタラシヒメノカミ)・名神大」とある。この三座の神は現在の宇佐神宮一の殿・二の殿・三の殿の三神でもあり、そして延喜式の大社の中より特別に選ばれた名神大社に列格されている。

 豊前国一宮であり数々の由緒の中で、聖武天皇の発願で奈良の大仏建立に宇佐八幡神の託宣が出されたといいます。天平17(745)年制作が開始され、大仏鋳造直後の天平勝宝元年(749)年12月八幡神の託宣に対し感謝をもって奈良へ招いた年である。この奈良上京には、天皇の乗輿である紫の輿を使用されたようである。この輿に八幡神とお供の宇佐宮の女禰宜(めねぎ)、大神杜女(おおがのもりめ)が乗り東大寺転害門をくぐり安置したようです。現在も転害門には石の礎があり、輿は台などを使わずそのまま置きます。輿に足があるのは地下置きするのを防ぐ為です。大仏は天平勝宝4(752)年開眼供養会が行われました。

転害門にはこの史上残る渡御が神輿の始まりとされています。

 宇佐では素晴らしいフェスタを実行した。この故事を元に昨年(2017)年11月宇佐の神輿が東大寺に入御した。このように江戸時代末までは神仏が同一社地に同居していて、神社に僧侶が大きく関与していた。今でも石造物にみることができる。例えば「別当」と刻字されているものがあるがこれが神仏習合時代の名残りである。神仏習合をあまり良く言われない論もあるが、私は多くの場所で古文書を見せて頂いたが、多くの元別当の方は沢山のお金の証文があった。こうした方なら商人もやりとりしたのだろう。

 2017年の15年前(2002)にも神輿を持って奈良東大寺に来ている。東大寺の建物建立年と宇佐神宮の神輿製造年月日時代の隔たりはあっても全く違和感を感じえない光景である。

 最後にこの神輿が参考になり新製された神輿が残っているが、いずれ登場する機会をつくる予定である。  

 宇佐神宮 鎮座地:大分県宇佐市南宇佐2859

東大寺転害門に安置された宇佐宮神輿。

東大寺大仏殿前の宇佐宮神輿。

東大寺南大門前の宇佐宮神輿。

東大寺大仏殿より還幸する宇佐宮神輿。