神輿解説 第二回 日吉大社 国指定重要文化財神輿七基(2)
◎二宮(現東本宮)
日吉大社国指定重要文化財神輿の第一回の写真・説明では、十禅師(現「樹下宮」)神輿の蕨手(わらびて)や隅木(すみぎ)などの金銅金具を紹介しました。
それらについて、みなさんは、どのように感じられましたか。
その素晴らしさをご理解いただけたでしょうか。
しかし、第一回目で紹介したものは、日吉大社国指定重要文化財神輿全体からみればほんの一部ということになります。
第二回目以降では、日吉大社国指定重要文化財神輿の七基それぞれの素晴らしい特長を順に紹介していきます。
第二回目の今回は日吉大社産土神(うぶすながみ)の東本宮です。産土神は「古事記」にも登場し、神体山である日枝山(現比叡山)に波母山と云う一峰があり、この地に降臨なされました。
東本宮は明治までは二宮と尊称され、日吉大社中では大宮(現西本宮)に次ぐ格式の高い社と云われてきました。
二宮という称号は大宮の次位と思われがちですが、こうした理解は間違いだと思います。
江戸時代までは日本国全土は小さく国及び嶋で区分されており、九世紀末頃には国司が国及び嶋の有力神社を巡拝しましたが、この「順番」が一宮・二宮・三宮という制になり、これが後には格式化していきます。
近江国の最大有力神社であった日吉大社は国内有数の社が名を連ねた二十二社も撰せられましたが、国衙(こくが)より遠方地ゆえに東本宮は順列的には二宮という称号となったようです。
記録によれば、日吉大社において大掛かりな社殿新造を行う際、大宮より二宮(東本宮)が先に新調されたとあります。大抵の場合、格式の高い社より造営されるのです。
このことからも、「二宮」としての東本宮が、いわゆる大宮の次位とは言えないことが窺われます。
さて、写真の説明に移ります。
一枚目の写真の瓔珞(ようらく)を観てください。
葵紋がたくさんみえます。日吉大社の神紋「二葉葵」が図形化されているのです。
徳川家の家紋で有名な「三つ葉葵」が天蓋より鈴なりに垂下しています。
徳川家の先祖は賀茂神社の産子(うぶこ)であったようで、日吉大社の二宮は賀茂の親神であるのです。
江戸時代に「三つ葉葵」紋がいかに権威をもち、尊崇されていたものなのかを示すように日吉大社七基の神輿中、二宮神輿の瓔珞はひときわ絢爛豪華なものとなっており、銀杏一枚に至るまで最高の技量がうかがえます。
プレス抜で制作される現代の瓔珞とは一味違うことがわかります。
もう一枚の写真は箱台輪(はこだいわ)の箇所です。
彫刻の中央には飛竜、それを取り巻くように雲文・波文が、躍動感漲って描かれています。
飛竜は「竜に翼を得たる如し」と云われるように、力強いものの代名詞であり、聖人が天子の位にあることのたとえにも使われます。
謎も多いとされてきた日吉大社の神輿ですが、最近少しずつ、わかってきたことがあります。
箱台輪も腰飾板と思っていましたが違うようです。
今回の写真説明で示した飛竜も建築物などでは上部に描かれていますが、この神輿には下部に彫刻されています。このような疑問も数多く神輿は問いかけます。
疑問が生ずるたびに、確認の意味をこめて日吉詣に向かいます。神輿と対面しじっくりと見つめあいます。
もの言わぬ神輿が言葉を発つするようになったのはやっと一年位前からのことでしょうか。
それ以前は、第一回目の写真・説明でも述べたように、その意味-価値についての認識はまったく無に近いものでありました。
あと五基についての細部形態の解説後に、七社の神輿の彫刻配列などの意図したものに迫れれば神輿研究冥利につきると思える昨今です。