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第六回 神輿と舁手衣装(2)

 関東神輿は前述のように「惣町神輿」であったので、各氏子町を渡御する必要性があったのです。そして舁手は町会ごとに肩代わりし、町会中を隈なく渡御しました。宮神輿の輿丁は決められた人のみが舁くので、肩代わりはありません。宮神輿ほど格式を重んじない惣町神輿は町会の法被で舁ついだのです。明治時代の古写真には商家の印袢纏の姿が多く見えます。同じ袢纏が写っていますので、多く舁手を出している商家の主人は町内会の中心的存在であったのでありましょう。その印袢纏は今でいう動く広告塔でもあり、藍染め一色からデザイン化されていったと思われます。
 こうした経過から神輿を舁く衣装は印袢纏が定着し、関西とは異なる文化が生まれました。

 関東において高度成長期が終焉を迎えようとした時、爆発的な神輿ブームが起こり神輿蔵に眠り続けた神輿が次々と氏子区内へと飛び出していきました。氏子自慢の神輿を誇らしげに逸話が語られたのもこの頃です。同時に多くの御輿会が発足し、多くの印袢纏が御輿に群がりました。当初はシンプルな藍を基本にした袢纏も、年を追うごとに派手な色彩に変化していったものです。
 一方では白を基調に神社神紋を染め抜いた揃い袢纏で舁く神輿も登場。回帰現象です。

 神輿と舁手衣装の変化を簡単に纏めてみましたが、これから先どのように変わるのか楽しみでもあります。
 関西では古儀を復活する気運が高く、本年白袢纏に舁かれた神輿が明治以来、閉ざされた門を潜ります。歴史を重んじ良きものを継承しようとする試みは素晴らしく、惜しみない拍手を送りたいです。
 片や江戸の華であり、東京最大の祭り「三社祭り」一年振りの神輿渡御、どんな姿をみせるやら大いに楽しみです。

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