第四回 化粧綱
本来の目的は別として、関東神輿の30年を振り返るといろいろな変化が見えます。今回は化粧綱についてちょっと意見を。綱が新調されると、それまでの綱の2~3倍(直径)ありそうな太い綱に変わった例が見受けられます。御輿製作者がその姿を見たらどう思われるのでしょう。
御輿は元来、木地師の基に大勢の職人が集まり仕事を分担して製作にあたります。木地師は総括責任者ですから御輿全体の意匠を考え各責任者に託します。そうして出来た御輿ですので、その後の修復も最初と同じようにすれば良いのですが、一部分を変えることでアンバランスが生じてきます。正に大流行(おおはやり)の太い綱がこれです。綱は屋根と轅を固定するものですから、細いほうが良く締まりやすいのでこちらが断然多く、大抵は捩り綱であるのが普通です。
私は太い化粧綱の利点は視覚の効果(太くて立派に見える程度)位でしかないと思っており、あまり良さは見受けられません。それに反して締めにくいのが欠点で、最悪な姿はまず晒で締め、そして上にあの太い化粧綱を架けますので御輿は縛られているようです。このようになりますと屋根の降棟(野筋)の彫刻や露盤の錺金具類はまったく見えません。太い綱は御輿を引き立たせるのではなく逆効果になってしまうのです。屋根上に異常に太い綱があると、蛇が蜷局(とぐろ)を巻いている様(さま)を想像する始末です。御輿身部でも太過ぎると四隅の化粧綱を絞るために晒を一回りさせます。これではまるで綱で縛られた御輿です。先人より受け継いだ歴史的価値のある御輿が神輿に姿を変える時、その町が持つ独特の文化が1年に1度花を開く時でもあります。早く土地の文化的価値を再認識してほしいのです。変な修復をすると直りませんよ。
関西型(京型・大阪型)御輿は蕨手もしくは屋根より黒轅に綱を降ろすので、降棟の優雅な姿が観察できる。屋根上の彫刻そして露盤上の大鳥を堪能でき、電線のなくなった街と同じようにすっきりしています。他には追随しない歴史感が今も御輿に生きています。御霊(みたま)を遷された神輿は快晴の下、錺金具を輝かせながら御旅所を目指す。