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神輿解説 第十回 新潟県十日町市辰甲 諏訪神社(祭礼8月26日・27日)

  平成30年(2018)9月10日 記

 🎶「越後名物かずかずあれど 明石ちぢみに雪の肌」で始まる十日町小唄は新潟県を代表する民謡の一つである。この小唄は昭和4(1929)年に発売された新民謡で大正時代より昭和初期に全国的に流行った民謡はこう呼ばれた。作詞・永井白眉(はくび)、作曲・中山晋平の名コンビで作られた曲で歌詞は日本有数の豪雪地帯十日町をしんみりとした情緒巧みに織り込んだ詞を溢れるものである。作曲は十日町付近を流れる信濃川の上流である長野県(新潟県では信濃川との名称だが長野県では千曲川という)の中野市出身で「野沢温泉小唄」や「天龍下れば」などの新民謡や「しゃぼん玉」、「てるてる坊主」などの童謡そして「船頭小唄」「波浮の港」も中山晋平の作曲である。十日町小唄の歌詞にうたわれる「雪に埋もれて 織仕事」とあるように江戸時代より京都に次いでの織物生産地である。宝暦6(1756)年前年の大凶作で飢民救済のため三井越後屋が109両の大金をおさめたようである。これをみても十日町は織物産業の重要な地であったことが伺える。

 十日町と京都の関係は織物だけではなく祭りの中心である神輿にも残る。鎮守諏訪神社の神輿は寛政7(1795)年京都四条通高倉西入の住人で宮殿師(※)の竹内平四郎作で京都世話人は岐阜屋茂兵衛という名が残る。昔の神輿製作では地元の世話人と先方の世話人をたてて話を進める。双方とも神輿博学多才であったと思えるのは私設文書等に神輿の評価が残っている。細部のところまで目配りなど世話人の大事な仕事である。その裏には神輿は土地の宝となるので、大金が使用された。両世話人の話がまとまると覚書が交わされ、先方の世話人が腕の良い職人を推薦する。

 諏訪神社神輿は現在も舁かれていて、上記祭礼日に渡御される。神輿は八角型で典型的な京神輿である。露盤に神紋梶の葉が見え箱枡の美しい姿を見せ、大鳥は叩き出しの典型的な鸞鳥(らんちょう)である。身部上部には京神輿の特長である極彩色がみえ、蕨手上の小鳥は燕で古神輿の特長の一本足でもある。

十日町小唄の囃子ことばは「テモサッテモ ソジャナイカ テモ ソジャナイカ」と聞きやすいメロディーと、京神輿の原型を観たい為に十日町に再度訪れることになる。

​ ※宮殿師――――厨子を作る人

拝殿より神輿が出輿する時、輿丁は白丁、烏帽子で

白布の上をお出ましになる。

西日を浴び、極彩色が際立つ。

笠鉾・大幟などが神輿に供奉する。

拝殿階下りは法被姿の舁手にかわる。

無言で出御した神輿はここより「おいよい」の掛け声で舁かれる。

御仮屋内の神輿。この神輿の素晴らしいことは、おそらく新調以来改造されていないと思われる。

京都にも多くの八角型があるが古典八角神輿が少ないのが現状である。末永く舁いて現状の形状を維持してほしい。

御仮屋前の神輿。