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神輿解説 第八回 神奈川県横浜市中区伊勢佐木町 伊勢佐木町1・2町会

  平成30年(2018)7月8日 記

 この神輿解説ページは神社神輿をより良く理解出来るためにあるが、そんな神輿の中で神社神輿よりもどうしても取り上げてみたい町内会神輿がある。

 今回の神輿は伊勢佐木町1・2町会の神輿で平成29(2017)年9月15日、修営後の初渡御を観に行った。大正10(1921)年制作開始以来完成は大正13年であったことです。製作途中で大正12年関東大震災があり難を逃れ、そして第二次世界大戦でも難を逃れたので、この神輿は「火伏神輿」と呼ばれたようです。  

 

 私は関西に存在する金銅装神輿に美を感じているので、関東神輿の金箔置きのボテットした彫刻はあまり好みではなかった。京都松尾大社などの極彩色は下地の彫刻の良さで生き生きとしていたし、この違いは神輿の歴史の差で致し方なしと考えるようにしていたが、もしかすると何処かに京神輿のような切れ味鋭い塗の神輿を期待していた。

 

 9月15日JR東日本の関内駅より伊勢佐木町を目指す。道すがら「高村光雲がこしらえた神輿」と友人よりのアドバイスもあり、評判高い神輿であるが、評判倒れも多く今日はどちらに出るか半信半疑の気持ちで歩みを進めていた。

 神酒所前に置かれた神輿を伊勢佐木町本通り口から眺めただけで胸が高まるのがわかる。徐々に神輿に近づくと評判通りの神輿である。一言こぼれた「関東にも極彩色の鑿跡(さっこん)の鋭い神輿があった」と頷いた。勾欄と身部の間には獅子が二匹治まり着色され、鋭い鑿使いで「老猿」、皇居前広場の「楠木正成像」そして今上野公園の「西郷隆盛像」を残した著名なる彫刻家高村光雲氏が彫刀をふるった神輿であろう。

 神輿は本来分業で製作される。この神輿も例外ではなく分業であったようである。神輿製作にあたり高村光雲氏に頼んだようである。この人に集まった人は当時最高の技量を持った人が揃った。

 大正10年9月高村光雲と同じ東京美術学校(現東京藝術大学)の教授であった島田佳矣氏が図案設計したものである。島田氏は図案工業界の先駆者で1年間かけて東奔西走し、宇佐八幡宮の宝蔵神輿を基礎にしたものであったという。

 神輿製作者は小川徳太郎氏で大仏師であったようである。大仏師は須弥壇、仏像、厨子等の造作をして神輿もこの人たちの作品で、現在も名品として多く残る。

 高村光雲氏が鑿をふるった獅子も滋賀県栗東市大宝神社の物を模した。屋蓋の上の鳳凰は宇治の平等院の物を模したとあるが、宇佐八幡宮の宝蔵神輿も現在祭礼に使用される神輿も似ているので、どちらを模したか?結論は持ち越す。

 それにしてもこれだけの布陣で製作された神輿は非の打ち所がない神輿となった。

 

 日枝神社(お三の宮=お山王宮) 祭礼  9月中旬の金・土・日曜日

この彫刻に、この塗、神輿の醍醐味を魅せてくれます。

神輿全体。均整のとれた美しい姿。

神輿が輝くときは、舁かれているときである。

陽光に煌めく彫刻金具。

この耀き、保存で得られますか?

舁き方次第で渡御が出来ると思えるのは私だけでしょうか?

高村光雲氏と思える獅子。

多くの神輿は部外者の褒め言葉で保存を考える。ここでは修営後、静々と舁かれ神輿本来の姿を維持している。最高の試みである。

板瓔珞、風鐸どうでしょう?

これが大仏師の技量なのです。手造りですよ。

本物を味わえる貴重な時です。