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神輿解説 第三回 日吉大社 2016年重文神輿 樹下宮 平成29年(2017)1月記

 社殿(本殿・拝殿など)は国宝や重要文化財の指定を受けていても使用され続けるが、工芸品(漆工品や金工品など)は大抵使用されずに保存されてしまい、本来の目的で使用せずに置物と化すのが我が国の現状であるが、それに対し外国では年代物の文物が祭当日にお出になるから驚きである。日本で言う国宝級のものである。

ところが昨年(2016年)思いもよらぬ事が起こった。滋賀県大津市坂本に鎮座する山王総本宮の日吉大社には国指定の重要文化財(以下重文と略す)の七社の神輿が保存されているが、この年は申年で日吉大社の神使である猿に因んで特別に重文神輿の展示を考慮中という情報が入った。これについて私は一抹の不安を感じていた。それは重文白山宮神輿が日吉山王祭で舁つがれて以来40 年の歳月が過ぎていたし、その後数回展示の為に神輿収蔵庫から出されているが入口にトラックが横着けされているので、本来の姿には程遠いものだ。私は神輿の美は駕輿丁の肩で揺れる姿の『動』と拝殿や御旅所の榻(しぎ)に静まる『静』の両端の美が神と人とが一体化になり最高のシーンを醸し出してくれる。装身具一つである「華鬘」も寺院内陣に垂下するものより、神輿の軒に下げられたものが舁かれると左右に揺れ神輿本体をより大きくみせる。この魅力は舁かれた神輿のみでしか味わえない。

 

 平成28(2016)年11月当日天気は上々、足早に神輿収蔵庫へ向かう。道半ばで神職の方とお会いし詳細をお伺いした時、神職さんからこんなお話を聞かされました「今回は飾りも完全装備しています」とのこと。驚きで唯呆然とした様子で我を忘れる始末でした。気を取り直して神輿収蔵庫前へ行く。凡そ30分程待つと神職の方々と坂本の氏子の方々が収蔵庫前に揃って来た。収蔵庫の扉が開かれ七社の内の一つ樹下宮が完全装備で榻に安置してある。戸帳はもとより神輿額も装備している。最高の美であり、古より累代の日吉大社の神輿には「美の権化」を目の当たりにした。

 それにしても駕輿丁の多さにびっくり、これだけの人が集まれば、舁いて行く確証を得たである。最初はトラックで運ぶと思っていた。

 

 日吉大社の神輿は坂本の方の愛着は計り知れない。重文の神輿に対し子供心に大人になったらこの神輿を舁くのだと秘めているのである。やっと舁ける時に新製の昭和の神輿に代わった人も多くいるはずだ。白山宮の最後の年西本宮楼門前で一秒でも長く舁きたいと思うのか役員の制止もままならず無我夢中で舁いていた姿が忘れられない。祖父から父へ、そして子へと連綿と続いた本(もと)にいつも日吉大社の神輿七社があった。この神輿は俗っぽい言い方ながら坂本の宝である。今回もう二度と訪れないと思えた重文神輿を舁ける千載一遇のチャンスに祭り好きの坂本の方々が参加しない方がより不思議に思えた。駕輿丁の装束は白の襦袢で正装。収蔵庫より西本宮楼門前まで舁くという。駕輿丁の人数が多いので神幸道を2グループに分けるとの事。40年振りの渡御故「大丈夫なの?」と心配になる。数十年振りという神輿を数多く観てきたが大抵あちこちで事故が目立つ。露盤上の大鳥の足が折れたとか、締めが弱いため軋むなど難問が横たわってくる。そんな問が愚問であることがすぐに証明された。流石日吉大社の神輿と思わず嬉しさが込み上げる。重文神輿は元々御所で製作された一品で当時最高の技巧集団の集大成で歴代の日吉大社神輿同様に『奉納品』である。

 以前大仏師が製作した神輿に目録がつけられていて中に「向こう三百年保証」という内容であった。その当時本当にこんな安請け合いをしたのかと疑問があったが、日吉大社の神輿を今回拝見しあり得るのだと確証した。

西本宮楼門前に安置された樹下宮の神輿に日吉大社の神職さんが小学生に重文神輿と現在日吉山王祭に使用される昭和製の神輿の隅瓔珞を薄い手袋だけで直に触れさせて説明されていた。

 日吉大社神輿の最大特長は七社とも形状が異なり、例えば屋蓋の流れは照り起りだが一つひとつ流れ方が違う神輿は稀である。

 樹下宮の神輿は勾欄に網被せが施された美しい神輿です。写真をご覧頂き神輿のプロヂュースする大仏師の真髄を感じ取れましたら有難いです。