監物恒夫紹介
神輿思惟・御輿思惟
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神輿思惟(みこししい)、御輿思惟

 ―――― 今むかし ――――

神輿回想録 (第二回)

葛西神社

 

鎮座地 東京都葛飾区東金町6丁目

 

江戸時代の絵図でみると葛西神社のところに香取社と記述されているのがわかる。この神社は下総國一宮香取神宮より御分霊されたものである。この香取の神社(かみやしろ)は多くの香取社とは違い、葛西三十三郷の総社で明治8年には郷社に列格されたのは最初に選ばれた郷社の一社で、葛西郷唯一の指定でもある。そしてその後葛西神社と改称した。

 

この神社で大変興味があったのは神輿である。文化3年(1806)江戸幕府の道中奉行が「五街道分間延絵図」という絵図を作成した。その中に「関宿通り多功道」いう絵図がある。この街道は脇街道であるが幕府直轄の街道である。千住で五街道の一つ日光道中より別れた佐倉道が葛飾区の新宿で水戸道と分岐する。因みに佐倉道は船橋までが幕府直轄であったので、普請等は幕府持ちであったがこれより先は大名領地ならば藩持ちであるので普請等をした。幕府持ちと藩持ちでは道中記でもわかるようにかなり違っていたようだ。

新宿よりの水戸道は進むと柏の手前で関宿通り多功道と分かれる。今の南柏の辺りである。関宿通り多功道は地元では日光東往還と呼ばれる。これは日光道中の裏街道として使用したことの証であろう。

新宿より水戸方面に進むと次は金町である。街道は葛西神社の表参道前を横切り江戸川の土手に向かう。葛西神社の境内には石造物などが見えるが、これらは他の神社でも見受けられるが他には見たことのない三文字があった。それは「神輿庫」である。現在の神輿は天保年間(1830~43)作といわれている。この絵図は1806年完成されているのであるので今の神輿以前にも神輿の存在が確認されたことになる。良くいわれることに江戸時代の神輿を保有しているという大半は江戸末期である。江戸幕府作の絵図に書き込まれた神輿とはどんな用途に使用され、どんな形状だったのか私の脳裏を駆け巡る。

昭和60年 葛西神社祭礼1

昭和60年9月15日撮影