監物恒夫紹介
神輿思惟・御輿思惟
神輿動座オリジナルカレンダー

(過去に販売した暦の紹介)

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神輿紀行(初回) ――松尾大社編――

 松尾大社の祭礼を私が最初に拝見し驚き・感動したのは、30年以上も前のまだ京都市内を「ゴトゴ~ト」と市電が走っていた頃だったと記憶しています。松尾大社には6基の神輿があり、それぞれの神輿に輿丁(よちょう=神輿の舁手)がいます。神輿が御旅所(神輿が本社を出て仮にとどまる所)へ行く神幸祭の早朝、6社の輿丁が「ほいっと、ほいっと」の掛け声で、“鳴りカン”を上下させながら松尾大社に参集してきます。“鳴りカン”とは神輿を舁く轅(ながえ=舁き棒)の前後先端につける座金つきの金具で、これを上下させると「がちゃん、がちゃん」と座金の擦れ合う音をたてます。この音により祭の雰囲気がいっきに高まり、ちょっとした緊張感が生まれ、境内の観衆はざわめきたつのです。神輿は庫より出され美しく着飾って最高の姿になると、いよいよ出御の時刻を向かえ御霊遷しになります。御霊が神輿に遷されると拝殿の回りを三周する神事があり、これを拝殿廻しといい、畿内・近江などに多い『能舞台形式』の拝殿が十二分に生かされる神事なのです。

 「京都の祭はどんな祭」と単純な質問に対して、「賀茂の葵祭や平安神宮の時代祭のような行列中心で静々と歩く」との答えがほとんどでした。報道等に取り上げられる祭の多くは。『京の雅』を強調してか、行列中心の王朝絵巻に偏るのは当然のことでもあります。しかし現実はむしろ一般的に考えられている静々より、力強く“鳴りカン”を鳴らしながら渡る京都市内独特の舁きかたの方が多いことがわかります。このバイタリティ溢れる舁きかたは、轅端3人の計12人が“鳴りカン”に手を掛けて、後ろに跳ねた足を振り子のように前に振り出す独特のもので、座金の音もリズムカルに境内にそして松尾山に響き渡るのです。拝殿廻しは休みなく連続三周するかなりきつい舁きで輿丁が少々バテ気味になると“鳴りカン”の軽快な音が消えかけてくる頃、テンポのよいリズムに戻そうと誰ともなく「よい、よい、よい」とリズム合わせのための掛け声が入る。この絶妙なタイミングの掛け声で気持ちを取り戻し腰が入ると「ほいっと、ほいっと・・・・・」の掛け声に戻り、見た目通りの重量がある神輿が輿丁全員の力が結集しあうと“鳴りカン”も真紅(鈴綱)の鈴も軽やかな音色を奏でます。一寸冷静に神輿をみると、華の一番かっこいいのは轅端の12人で、後(あと)の輿丁全員は神輿を舁き支えているのです。座金の音が高ければ高いほど上下動は大きく、轅は捩(ね)じれるように軋(きし)みます。こうした舁き方をするためには、神輿をいかに左右に曲がることなく、また斜めに傾かずに支えられるかにかかり、いかに轅華の輿丁が素晴らしくても神輿は美しく揺れないでしょう。正にこの人達の努力の結集で、昔からよく言われる『縁の下の力持ち』の格言を思い起こします。だからこの神事を何回観ても新鮮な感動を与え、私をしびれさせてくれます。最高のオーケストラが最高のホールで演奏しているような感覚で、五臓六腑に響かせてくれる渡御祭、人が織り成す舁く渡御だからこそ味わえる醍醐味ではないでしょうか。機会があったら是非あのエネルギーを聴覚・視覚で感じて下さい。きっと何かがあるように思いますが・・・・・・

後方の土手の上で神輿を放り上げる
妙技をみせる衣手社。
神輿のお絹衣の緋と桂川の草木の緑が、
この船渡しをいっそう盛り上げる。

神幸祭の華、桂川の水面に
華麗なるお姿を映す櫟谷社の船渡し

 この拝殿廻しは神幸祭の4月20日以降の最初の日曜日もしくは神幸祭の21日後の日曜日の還幸祭で見ることができます。交通はJR京都駅より市営地下鉄烏丸線四条下車、阪急京都線へのりかえて桂へ、ここで同じ阪急嵐山線で松尾下車は私が数多く使っているコースです。拝殿廻しを終えた四ノ社・衣手社・三宮社・宗像社・櫟谷社・大宮社は桂離宮付近の桂川の土手上に渡御します。この神輿の順は常に変わりません。同じ順路を揃って渡御することが古儀の形態であるのです。ここで神幸祭最大の山場の舟渡しが行われます。神輿を神輿船に乗せ桂川の右岸より左岸に渡河されるが、昭和58年実に20年ぶりに復活された神事であった。この舟渡しは江戸時代の古書にも書き記されている名物神事であった。こんな神事を再興する場合、普通川で何かあったら大変とのことで、川渡しのみ軽い仮神輿でと思われるが、ここの氏子は「昔は重い古い神輿を使っていたが、今は新しい軽いのに変えました」なんて野暮なことは言わないし、先人より受け継がれた神輿を綺麗に磨き上げて渡御するところが並大抵ではない。神輿は元々人に舁かれるために出来たものを、ここでは忠実に再現してくれます。このような神輿を1年のたった2日間だけ我々神輿好きの前にその勇姿を披露します。重量感あふれる神輿を陸渡御なら未だしも、輿丁が桂川の水嵩(みずかさ)が多い時などは腰辺りまでひたりながら舟に乗せるのである。その光景は舟渡しというより、お浜下り(神輿が水に入る神事)の様にも見えます。

  渡御の見せ場はこの他衣手社の御旅所、三宮社の御旅所、西七条の御旅所、還幸祭の旭日の森(西寺跡)、朱雀の御旅所そして最後の拝殿廻しで締め括られるが。一日を通して観てみると祭の良さがもっと理解できるはずです。

還幸祭最高の見せ場拝殿廻し。
神輿は四ノ社

還幸祭朱雀(すざく)御旅所の六社

 松尾大社の神輿本体の話は別の時に譲りますが、私のところに入ってきている情報に今少しずつではあるが、台車に乗せて渡御した神輿が一部舁くようになったとの情報が寄せられた時など喜びはまた格別であります。この中には私が待ち焦がれた「市の文化財指定」の神輿の名も見つけました。とある神社は新製神輿が出来るまで文化財の神輿約400年も舁き通した例もあります。何故そう迄して神輿を舁くのでしょう。そんな話やエピソードを交えながら会員の皆さんとお話をしたいと願っております。

 次回の神輿紀行は裸足で舁く神輿の予定です。ではまた。
        © 平成十七年  卯月中日  監物 恒夫 記

祭礼日 神幸祭4月20日以降の日曜日、還幸祭5月 神幸祭の21日後の日曜日