神輿解説 第十一回 神奈川県平塚市四之宮4丁目 前鳥神社(祭礼9月28日)
平成30年(2018)10月6日 記
前鳥神社は相模の国四之宮で延喜式内社でもある。
本年は御鎮座1650年にあたり式年大祭となった。私の関心は1650年の式年大祭記念に建立された鳥居を
前鳥神社神輿が何時くぐるかということであった。江戸時代には華表と多くの建造物や図面に記されている。
中国で華表とは城郭・官庁の門のことで、わが国では神社参道に立て神域を示す一種の門であるので、神は神輿に鎮まり宮居を始めてお出ましになる重要な神事である。しかしこの神事は行われず、今年最後になる式年大祭を迎えるに至った。9月28日の例祭は赤鳥居より出御するので、記念鳥居よりの宮出はない。翌29日は奉祝大祭が行われた。
この日前鳥神社氏子青年会の方により念願の1650年記念鳥居を本神輿がくぐった。宮居より氏子区域に初めて神が出御したのである。それにしてもこの日に合わせていたとは素晴らしい。祭りの本質を知っている方が多いのであろう。
前鳥神社の神輿は文久元(1861)年4月に新調された。神輿は大山の大工棟梁手中明王太郎景元が木地・彫刻を受け持ち、塗師、仏師、錺金物の分業で製作された。手中明王太郎は本来建造物の造営・修営が主なる仕事であるが、江戸時代末期になると本来大仏師の仕事に属する神輿造立に仕事範囲が広がっている。この神輿にも新土村(現真土)の仏師福田藤吉が携っているが彫刻と組物の箔置の作業であったようである。
京では神輿製作は仏師が行い、最後の法隆寺大工といわれた棟梁西岡常一氏は多くの建造物を手掛けたが神輿は製作していない。江戸でも天明期(1781~1788)の神輿図面が残るが大仏師と記載される。前鳥神社神輿の屋蓋野筋には龍の彫刻を載せ、この龍を手中明王太郎は目貫龍と呼んだ。
今年はこの神輿が大磯国府祭に出輿し、今上陛下御在位30年を記念して逢神場祭場で一之宮、二之宮、三之宮、四之宮、平塚八幡宮、総社の六社の本神輿が出会った。そして1650年式年大祭(例祭)、奉祝大祭(29日)には前鳥神社神輿、真土神社神輿、中原日枝神社神輿の合同渡御がおこなわれた。
※ 参考として以下に古い画像も掲載しております。
ご鎮座1650年式年大祭のために建立された
鳥居をくぐる前鳥神社神輿。
ご鎮座1650年奉祝大祭神輿還御。
昭和55年例大祭。
北向観音堂での模様。
北向観音堂より前鳥神社神輿、真土神社神輿、中原日枝神社神輿の合同渡御が行われた。
昭和55年の例大祭、発輿。
社殿は改修前のもの。
国府祭。居並ぶ各神社本神輿。
平成30年国府祭。